小説:サマー・ウォーズ

タイトル:サマー・ウォーズ

出版:角川つばさ文庫
原作:細田守
著作:蒔田陽平
カバー絵:貞本義行
挿絵:杉基イクラ
ステータス:読了

粗筋:

数学オリンピック日本代表に出られそうなほど天才的な数学少年が主人公。先輩の夏希の結婚相手を装うアルバイトで、彼女の実家である長野の旧家を夏休みに訪れる。世界は仮想空間で行政手続きも出来るほどに進んだ近い未来。AIが仮想空間をのっとってしまうことから物語は動き出す。そこからバーチャルと家族の戦いが始まる。

読者:

映画は2、3度見たことがある。細田守は「時をかける少女」から注目していた監督。(何せ映画館で時かけは見た)

感想)

甥から「面白いよ!」と言われ借りたもの。所謂ライトノベル。私はススメられ、本を渡されたらどうあれ必ず読む人。せっかくだしね。そのまま突っ返すのは失礼なので。長い間、借りてしまう。
興味ある無いで言えばライトノベルは興味がない。どうしてもライトノベルは事象だけをおい、短くて展開が早く、内容が薄く、背景が描かれず、人間性なんてね~という印象で、数行読んで興味が失せるのがほとんど。小説は人間性が描かれてナンボだと思っている派。それもあって良い機会になった。

これは映画原作があってのノベライズなので想像の範囲は越えないものだった。(当然なのですが)完全に映画のダイジェスト版となっており、その点に関しては著作者さん頑張ったな~と感じる。書く側の楽しみというのはエッセンスを盛り込むことにあると思うのですが、それが無い。ある意味では作者の持ち味が無い。これは映画から来るものであれば事業者側は恐らくありがたいと思う。映画が原作だしね。

通常「ドカーン!」的な擬音は小説ではご法度なのだが、類する表現が一杯入っており、個人的には「あ、今はアリでもいいんだ」とホッとした。これは世代の影響もあると思われるが、漫画、アニメ世代としては「入れたい」(;´∀`)ええ、なので私も割りと入れる方。邪道なんですけどね。
小説を読んで興味を持ち、映画へという流れには向いている作品に思える。私は逆になったのだが、終盤は映画を思い出し結構盛り上がる。あらゆる点で映画を越えないが、これは致し方ないと思われる。個人的には割りとどうでもいいキャラの名前はすっ飛ばしても良かったような気もするけど、これはこれは入れないとマズイのだろうねぇ。参考になった。
逆に映像だと見過ごされてしまう部分が小説では文字になっている分、読む側の想像を強制されるので地味な部分が印象に残ったりする。映像だと極わずなシーンなのだがスパコンを導入してからの展開は映像より克明に事態が把握出来た。大漁旗とつけっぱの万作のイカ釣り漁船が池は入る前後あたりは、映像よりダイナミックにすら感じられ印象の残る。それと、映像より「心意気」は感じやすい。

映画でも割りと目立った万作は小説ではより活きた印象が残る。逆に、映像では目立った佳主馬は逆に小説だと登場から終わりまで個性が出ず沈んだ印象だった。改めて、「映像」と「小説」(漫画も含め)は別だと感じる。寧ろ別で当然であり、それぞれの良さを活かせればいい。小説は小説で最高、映画は映画で最高。これが理想だろう。その点で言えば、あくまでお膳立てありきの著作物は実に可愛そうですらある。原作原理主義者が闊歩する現代だが、やはり分けて考えるのが正常だろう。最も消化をせずに冒涜するのは賛成できないが。
原作付きの映画化が日本人が下手なのは、やはり原理主義者の許容力の無さに対し、制作サイドが忖度してしまうのが問題なのだろう。制作サイドの覚悟不足。恐らく日本人の咀嚼力をもってすれば本来もっといいのが出来るはず。色々と勉強になり、感じるものがあった。甥っ子には良い機会を貰えたと感謝したい。

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